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真田信之を語ってくれる歴史番組が中々無いのでありがたいです。信之は若い頃は戦場で命をかけて戦い、晩年は幕府の顔色を伺いつつ、真田家を存続させるために奔走しました。その心労が重なってか、彼は93歳までしか生きられなかったんですよね・・・本来なら、戦も無い天下太平の世で楽隠居できたでしょうに・・・
家系って、お金で買ったかどうかは別として、誰かに頼めば作れるという、結構いい加減なんだという事がわかりました。ためになりとても面白かったです。
本編も見てるけど、本編よりもこっちが楽しみ。信之の件はなるほどなぁと納得しました。本編は無理でも、RUclipsなら信之編をやってもいいのでは?
相変わらずすごい番組だw
加来先生戻ってきて欲しいです❤❤ イトウ先生も良いけど、加来先生の視点、心意気、やっぱ好きです‼️
加来先生は詳しく〜話してくれますのでわかりやすいですよ☺
密かに活躍が偉人、よくわかりました!
加来先生、中西さん「偉人・こぼれ噺 」毎回楽しみに聞いております。『「世界の問題の解決は、全て日本の歴史の中に秘め隠されている」…深見東州談』を以前聞いたことがあります。これからも、楽しいみにしております。
信之(信幸)というと、やはり大泉洋さんではなく渡瀬恒彦さんかな。
『真田太平記』は信之が主人公のように描かれていたと思います。
名門集めの家康に集められた高家の特集が面白そうだと思うのは私だけでしょうか?
秀吉さんのパクリやん~
あー、だから源氏なんですねー!大河ドラマ『青天を衝け』で民部公子がナポレオン三世に名乗ってました
歴史解説してる方で加来先生が一番好き😊✨️
今日の話。信之の人生の解説は 最高でした。 梵天丸ではないが、私も、かくありたい。と 思いました。。。。笑い。。。。これからも期待してます。
19:40【江戸時代の高家】有馬家、一色家、今川家、上杉家、大沢家、大友家(豊後守護家、大友義親一代で断絶)、大友家(大友義孝が初代)、織田家、京極家、吉良家(三河吉良氏、「赤穂事件」により絶家)、吉良家→蒔田家→吉良家(武蔵吉良氏、三河吉良氏の流れを汲む吉良家の絶家により蒔田姓から復姓)、品川家、武田家(甲斐武田氏の流れを汲む)、中条家、土岐家、戸田家、長澤家、畠山家(河内半国・紀伊守護家)、畠山家(能登守護家)、日野家、前田家(藤原氏)、前田家(菅原氏)、宮原家、最上家、由良家、横瀬家、六角家【江戸時代の高家(表高家)並】岩松家、山名家
お詳しいですね。しかし源氏庶流の割合の多いこと。武家の名門ですね源氏は。
真田信之さんって武靖大神という神さまになってるんだよね~
真田信之も関ヶ原以降改名する前は、信幸と名乗ってましたね。
7:19 違う意味かと思ったw
家康も曹操と同じ人材コレクター。
偉大な人だったのですね〜☺
私も加来先生と同じく信之のほうが好きですね。
井伊直弼を取り巻いた南紀派、会津藩主松平容保や高松藩主松平頼胤らの大名、老中松平忠固、紀州徳川家付家老水野忠央、御側御用取次平岡道弘・薬師寺元真、大奥瀧山等は、南紀派でどの様な働きをしたのでしょうか?一橋派に比べて、後世の歴史上では表面上の記載しかなされませんが、滅多に無い機会と致しまして深堀りを希望致します。
信繁(幸村)の方が長男って説がありますよね?
これは番組内では語り尽くせませんね(*´∀`*)
大阪夏の陣。 大河ドラマ第9作の「春の坂道」でしたか。1971年徳川秀忠の本陣がくずされ。守るは柳生宗矩ひとり。そこへ大阪方の兵が。確かー大野隊でしたか、赤槍隊でしたか?そこへ味方が。それで大阪方は逃げていき。そのようなシーンがあったような?うろ覚えです。これは史実ですか?お願いします。夏の陣では真田信繁や毛利勝永が家康本陣へ迫ったという事ばかり。秀忠の本陣へは、どうだったのですか?物語日本史大系 第11巻(国会図書館)難波戦記 巻22 岡山合戦 P.189あたりを読んでも。大野治房麾下三万余で攻め立てたようですが。参謀本部編の日本戦史。大坂の役(国会図書館)P222でも。同じような内容ですか?詳しい方よろしくお願いします。
真田信之は、身長が180センチ位あって、当時としてはかなり大きかったみたいだね。
真田信繁の話なのに信之の話が長くなり、中西アナも信之のフリをし話が長くなる・・・もはや真田信之編(笑)加来先生が熱くなるあるある(笑)
3:47で誤植という表現をつかっているが、本来「誤植」は「写真植字」による誤りを指すのだから、表現として適当ではない。
私も真田信之の功績をひょうかしています。父と兄は徳川にしてみれば大逆人で信之に向けられる幕閣らからの仕打ちは厳しかったと思いますが誠心誠意に幕府に奉公し真田家を幕末まで存続させる基礎を築いた事は戦国武将の中でも際立つ人物だったと思います。逆に弟の信繁に関しては彼の野心や軍事面での自信過剰ぶりが豊富家を滅亡させる一因にもなったのかなと個人的には考えております
源平藤橘のいい加減ぶり、勉強になりました。今の政界のサラブレッドと同レベルですね。
私は好きな武将です😊
家系図作る話面白いなあ
真田家のお家騒動については、諸説ある様ですが、私が知っているのは、松代藩2代藩主の真田信政公が、兄の信吉公に続いて、父の信之公よりも不幸にして先に亡くなってしまい、松代藩の3代藩主をどうするか?となった時に、分家だった信吉公の血統である沼田城主の真田信利公が、松代藩3代藩主になるべく画策して、信政公の子息である幸道公(当時2歳)の松代藩家督相続に意義を唱えて、幕府に訴える事態となり、幕府や縁戚の大名を巻き込んで騒動になったそうです。隠居していた信之公が幸道公の後見となる事で、幸道公が松代藩の家督を継いだ、と言う事です。
小笠原も名門だぞ
この頃ハッカーと、盗撮と、盗聴で神経が壊れてます!何でも一声掛けて欲しいです!
天使の方々いつも多大なる協力ありがとうございます悪魔を滅亡させましょうトランプ大統領と娘のイヴァンカさんにもありがとうございますと伝えてください神イエス・キリスト
真田信繁の名は、武田典厩信繁からきていると思うけどあまり触れられないのはなぜ。
そんなに適当なら、それぞれ家系図作ってて、先祖が被ったりしなかったんだろうか
もっと長生きするはずやった
Sanada kewa motohara mura no sanada no dedaShirananine?
先生、島津氏、佐竹氏以外で、例えば武田氏は?
江戸時代まで残った大名家の話をしているので武田は対象外になっちゃいますが、武田はもちろん甲斐源氏の流れなので正統派中の正統派ですね。
時代にはあらがえないってことかな。(井伊、真田)
家康さんって天下を握っても劣等感あったのね。これじゃ。秀吉と一緒。それとも天下泰平でお家柄が問われる時代が来ると思ったのかな。やはり中世近世の時代ですね。あるいみ明治ってスゴイ。
戦国時代は武将が勝手に美濃守とか名乗ってたよね。それがしは美濃守でござる。わたしも美濃守。拙者もでござる。・・・。
長生き社会(100歳時代)ってある意味不幸のおおいよね。
第2の人生って人それぞれ。
信之は、色々と板挟みにあって心労で大変だったと思うな。だから、早く亡くなってしまったよね…もっと生きれただろうに
真田伊豆守信之(信幸)公は、93歳まで生きられたのですから、当時としては勿論、現代においても長寿だと思いますよ。
Motto benkyo shirop
井沢元彦先生はこのように言われてますがどうでしょうか?ruclips.net/video/V5I8j3N6tpg/видео.html
私は、井沢元彦先生の説には異議ありです。1574年に真田幸綱(幸隆)公が亡くなられた後、真田家の家督を継いだのは、長男の信綱公です。信綱公の諱には、井沢先生が仰られている「幸」が入っていません。この事から、井沢先生の説は説得力が乏しいですね。1575年の長篠の戦いで、信綱公と次男の昌輝公が共に戦死してしまった為に、三男の昌幸公が武藤から真田に復姓して、真田家を継いだのです。やはり、加来先生が仰っておられる通りなのだと思います。
井沢元彦の根拠は「信繁という名は、武田信繁の様に兄の捨て石となれ。という思いが込められているので、兄を守れないから幸村に変えたはず」という事ですが、信繁は豊臣側につく事で父の遺言である真田家の信義を通し、兄の捨て石になれないじゃないですか。二人で安泰なら捨て石ではありません。
一応、私は源氏の血が半分です。母方なので、源氏を名乗れない(笑) つまり、何の関係もない徳川家康より、征夷大将軍に近い!?
島津は違うのでは?
確かに系図の原点が頼朝さんの隠し子って時点でめちゃめちゃ怪しいんだけど~徳川将軍家における保科正之さんの例もあるので、幕府も否定できなかった感じでは~?
ここ1000年で負けて名を遺した人は義経、正成、信繁くらいですか、負けたら負けですね
バカな弟を持つと苦労するな。信之は可哀想。
真田兄弟は、お互いに置かれた立場が異なっていたので、仕方がなかったのでしょう。徳川家康公の養女(本多忠勝公の娘)が正妻だった真田信之公が、徳川家に付いたのは当然です。一方で、徳川家康公に酷い目に遭わされた真田昌幸公と豊臣家の家臣だった大谷吉継公の娘を正妻とし、豊臣姓を秀吉公から賜っていた真田信繁公が、豊臣家に付いたのも、当然の行動だと思います。
@@カメイドイチロー 幸村信者が妄想しないでください。あの時点で徳川の勝利は確定兄は徳川につき家は安定している。弟が豊臣に走れば処刑免除願った兄や忠勝の面目丸潰れ、命の危機豊臣に走った段階で幸村は恥知らずのクズ、最低、豊臣方からは誰コイツ?呼んでない。冷静に考えれはよってきたみすぼらしい浪人の作戦や改築なんて認めるわけがない。赤備えは嘘真田丸は幸村考案ではない戦いが長引けば農民がそれだけ苦しむ。幸村は無能妄想より歴史を勉強してください。
戦国時代は本人の意志に関わらず家中が二分するからしゃあない~家督継承路線は安全第一に対して、他の男子は一旗上げて独立したいねん~
ていうか、農村とかでは名字が無いのが当たり前だったらしく、明治とかになってみんな名字を名乗ることになったらしいので、ほとんどの人は歴史的偉人と何の関係もないどころか、名字を名乗れなかったのは移民だらけなので、由緒正しそうな名前ほど、移民の可能性が格段に高い。よく見てみたら日本は、モンゴルや中東や東南アジア系の移民だらけ。純潔の日本人なんて、ほとんど残っていないし、縄文の遺伝子がどうとか言っているが、そもそもそんなに遡ったら、日本という国自体がない時代のただの無法地帯の移民の血統で間違いがないのだから、日本の遺伝子という意味でいうならば、皇室か、それらにまつわる遺跡などから採取したDNAを基準とするべきだろう。建国民の遺伝子として。あと、モンゴロイドだからモンゴルだとかいうゲス彦みたいな頭の悪い人がいるのだが、モンゴロイドというネーミングを外人が考えただけで、モンゴル人がモンゴロイドの始祖なわけでもなんでもないし、日本はハワイアンが住んでいて、モンゴロイドと混ざった可能性もあるし、白人が住んでいてあれこれ混ざってモンゴロイド化したかもしれないし、そもそもそんな昔は日本関係ないし、分類的にそう分類しているだけで、細分化したらモンゴロイドの中でもいろいろいるし、モンゴロイドではないモンゴロイドとかもいるはず。
真田信之を語ってくれる歴史番組が中々無いのでありがたいです。
信之は若い頃は戦場で命をかけて戦い、晩年は幕府の顔色を伺いつつ、真田家を存続させるために奔走しました。
その心労が重なってか、彼は93歳までしか生きられなかったんですよね・・・
本来なら、戦も無い天下太平の世で楽隠居できたでしょうに・・・
家系って、お金で買ったかどうかは別として、誰かに頼めば作れるという、結構いい加減なんだという事がわかりました。ためになりとても面白かったです。
本編も見てるけど、本編よりもこっちが楽しみ。
信之の件はなるほどなぁと納得しました。本編は無理でも、RUclipsなら信之編をやってもいいのでは?
相変わらずすごい番組だw
加来先生戻ってきて欲しいです❤❤ イトウ先生も良いけど、加来先生の視点、心意気、やっぱ好きです‼️
加来先生は
詳しく〜話して
くれますので
わかりやすい
ですよ☺
密かに活躍が偉人、よくわかりました!
加来先生、中西さん「偉人・こぼれ噺 」毎回楽しみに聞いております。『「世界の問題の解決は、全て日本の歴史の中に秘め隠されている」…深見東州談』を以前聞いたことがあります。
これからも、楽しいみにしております。
信之(信幸)というと、やはり大泉洋さんではなく渡瀬恒彦さんかな。
『真田太平記』は信之が主人公のように描かれていたと思います。
名門集めの家康に集められた高家の特集が面白そうだと思うのは私だけでしょうか?
秀吉さんのパクリやん~
あー、だから源氏なんですねー!
大河ドラマ『青天を衝け』で民部公子がナポレオン三世に名乗ってました
歴史解説してる方で加来先生が一番好き😊✨️
今日の話。信之の人生の解説は 最高でした。 梵天丸ではないが、私も、かくありたい。と 思いました。。。。笑い。。。。これからも期待してます。
19:40
【江戸時代の高家】
有馬家、一色家、今川家、上杉家、大沢家、大友家(豊後守護家、大友義親一代で断絶)、大友家(大友義孝が初代)、織田家、京極家、吉良家(三河吉良氏、「赤穂事件」により絶家)、吉良家→蒔田家→吉良家(武蔵吉良氏、三河吉良氏の流れを汲む吉良家の絶家により蒔田姓から復姓)、品川家、武田家(甲斐武田氏の流れを汲む)、中条家、土岐家、戸田家、長澤家、畠山家(河内半国・紀伊守護家)、畠山家(能登守護家)、日野家、前田家(藤原氏)、前田家(菅原氏)、宮原家、最上家、由良家、横瀬家、六角家
【江戸時代の高家(表高家)並】
岩松家、山名家
お詳しいですね。
しかし源氏庶流の割合の多いこと。
武家の名門ですね源氏は。
真田信之さんって武靖大神という神さまになってるんだよね~
真田信之も関ヶ原以降改名する前は、信幸と名乗ってましたね。
7:19 違う意味かと思ったw
家康も曹操と同じ人材コレクター。
偉大な人だったの
ですね〜☺
私も加来先生と同じく信之のほうが好きですね。
井伊直弼を取り巻いた南紀派、会津藩主松平容保や高松藩主松平頼胤らの大名、老中松平忠固、紀州徳川家付家老水野忠央、御側御用取次平岡道弘・薬師寺元真、大奥瀧山等は、南紀派でどの様な働きをしたのでしょうか?
一橋派に比べて、後世の歴史上では表面上の記載しかなされませんが、滅多に無い機会と致しまして深堀りを希望致します。
信繁(幸村)の方が長男って説がありますよね?
これは番組内では語り尽くせませんね(*´∀`*)
大阪夏の陣。
大河ドラマ第9作の「春の坂道」でしたか。1971年
徳川秀忠の本陣がくずされ。
守るは柳生宗矩ひとり。
そこへ大阪方の兵が。
確かー大野隊でしたか、赤槍隊でしたか?
そこへ味方が。
それで大阪方は逃げていき。
そのようなシーンがあったような?
うろ覚えです。
これは史実ですか?
お願いします。
夏の陣では真田信繁や毛利勝永が家康本陣へ迫ったという事ばかり。
秀忠の本陣へは、どうだったのですか?
物語日本史大系 第11巻(国会図書館)
難波戦記 巻22 岡山合戦 P.189
あたりを読んでも。
大野治房麾下三万余で攻め立てたようですが。
参謀本部編の日本戦史。
大坂の役(国会図書館)P222でも。
同じような内容ですか?
詳しい方よろしくお願いします。
真田信之は、身長が180センチ位あって、当時としてはかなり大きかったみたいだね。
真田信繁の話なのに信之の話が長くなり、中西アナも信之のフリをし話が長くなる・・・もはや真田信之編(笑)
加来先生が熱くなるあるある(笑)
3:47で誤植という表現をつかっているが、本来「誤植」は「写真植字」による誤りを指すのだから、表現として適当ではない。
私も真田信之の功績をひょうかしています。父と兄は徳川にしてみれば大逆人で信之に向けられる幕閣らからの仕打ちは厳しかったと思いますが誠心誠意に幕府に奉公し真田家を幕末まで存続させる基礎を築いた事は
戦国武将の中でも際立つ人物だったと思います。
逆に弟の信繁に関しては
彼の野心や軍事面での自信過剰ぶりが豊富家を滅亡させる一因にもなったのかなと個人的には
考えております
源平藤橘のいい加減ぶり、勉強になりました。
今の政界のサラブレッドと同レベルですね。
私は好きな武将です😊
家系図作る話面白いなあ
真田家のお家騒動については、諸説ある様ですが、私が知っているのは、松代藩2代藩主の真田信政公が、兄の信吉公に続いて、父の信之公よりも不幸にして先に亡くなってしまい、松代藩の3代藩主をどうするか?となった時に、分家だった信吉公の血統である沼田城主の真田信利公が、松代藩3代藩主になるべく画策して、信政公の子息である幸道公(当時2歳)の松代藩家督相続に意義を唱えて、幕府に訴える事態となり、幕府や縁戚の大名を巻き込んで騒動になったそうです。隠居していた信之公が幸道公の後見となる事で、幸道公が松代藩の家督を継いだ、と言う事です。
小笠原も名門だぞ
この頃ハッカーと、盗撮と、盗聴で神経が壊れてます!何でも一声掛けて欲しいです!
天使の方々いつも多大なる協力ありがとうございます
悪魔を滅亡させましょう
トランプ大統領と娘のイヴァンカさんにもありがとうございますと伝えてください
神
イエス・キリスト
真田信繁の名は、武田典厩信繁からきていると思うけどあまり触れられないのはなぜ。
そんなに適当なら、それぞれ家系図作ってて、先祖が被ったりしなかったんだろうか
もっと長生きするはずやった
Sanada kewa motohara mura no sanada no deda
Shirananine?
先生、島津氏、佐竹氏以外で、例えば武田氏は?
江戸時代まで残った大名家の話をしているので武田は対象外になっちゃいますが、武田はもちろん甲斐源氏の流れなので正統派中の正統派ですね。
時代にはあらがえないってことかな。(井伊、真田)
家康さんって天下を握っても劣等感あったのね。これじゃ。秀吉と一緒。
それとも天下泰平でお家柄が問われる時代が来ると思ったのかな。
やはり中世近世の時代ですね。あるいみ明治ってスゴイ。
戦国時代は武将が勝手に美濃守とか名乗ってたよね。
それがしは美濃守でござる。わたしも美濃守。拙者もでござる。・・・。
長生き社会(100歳時代)ってある意味不幸のおおいよね。
第2の人生って人それぞれ。
信之は、色々と板挟みにあって心労で大変だったと思うな。
だから、早く亡くなってしまったよね…
もっと生きれただろうに
真田伊豆守信之(信幸)公は、93歳まで生きられたのですから、当時としては勿論、現代においても長寿だと思いますよ。
Motto benkyo shirop
井沢元彦先生はこのように言われてますがどうでしょうか?
ruclips.net/video/V5I8j3N6tpg/видео.html
私は、井沢元彦先生の説には異議ありです。
1574年に真田幸綱(幸隆)公が亡くなられた後、真田家の家督を継いだのは、長男の信綱公です。信綱公の諱には、井沢先生が仰られている「幸」が入っていません。この事から、井沢先生の説は説得力が乏しいですね。
1575年の長篠の戦いで、信綱公と次男の昌輝公が共に戦死してしまった為に、三男の昌幸公が武藤から真田に復姓して、真田家を継いだのです。
やはり、加来先生が仰っておられる通りなのだと思います。
井沢元彦の根拠は「信繁という名は、武田信繁の様に兄の捨て石となれ。という思いが込められているので、兄を守れないから幸村に変えたはず」という事ですが、信繁は豊臣側につく事で父の遺言である真田家の信義を通し、兄の捨て石になれないじゃないですか。二人で安泰なら捨て石ではありません。
一応、私は源氏の血が半分です。母方なので、源氏を名乗れない(笑) つまり、何の関係もない徳川家康より、征夷大将軍に近い!?
島津は違うのでは?
確かに系図の原点が頼朝さんの隠し子って時点でめちゃめちゃ怪しいんだけど~
徳川将軍家における保科正之さんの例もあるので、幕府も否定できなかった感じでは~?
ここ1000年で負けて名を遺した人は義経、正成、信繁くらいですか、負けたら負けですね
バカな弟を持つと苦労するな。
信之は可哀想。
真田兄弟は、お互いに置かれた立場が異なっていたので、仕方がなかったのでしょう。
徳川家康公の養女(本多忠勝公の娘)が正妻だった真田信之公が、徳川家に付いたのは当然です。
一方で、徳川家康公に酷い目に遭わされた真田昌幸公と豊臣家の家臣だった大谷吉継公の娘を正妻とし、豊臣姓を秀吉公から賜っていた真田信繁公が、豊臣家に付いたのも、当然の行動だと思います。
@@カメイドイチロー
幸村信者が妄想しないでください。
あの時点で徳川の勝利は確定
兄は徳川につき家は安定している。
弟が豊臣に走れば処刑免除願った兄や忠勝の面目丸潰れ、命の危機
豊臣に走った段階で幸村は恥知らずのクズ、最低、
豊臣方からは誰コイツ?呼んでない。
冷静に考えれはよってきたみすぼらしい浪人の作戦や改築なんて認めるわけがない。
赤備えは嘘
真田丸は幸村考案ではない
戦いが長引けば農民がそれだけ苦しむ。
幸村は無能
妄想より歴史を勉強してください。
戦国時代は本人の意志に関わらず家中が二分するからしゃあない~
家督継承路線は安全第一に対して、他の男子は一旗上げて独立したいねん~
ていうか、農村とかでは名字が無いのが当たり前だったらしく、明治とかになってみんな名字を名乗ることになったらしいので、ほとんどの人は歴史的偉人と何の関係もないどころか、名字を名乗れなかったのは移民だらけなので、由緒正しそうな名前ほど、移民の可能性が格段に高い。よく見てみたら日本は、モンゴルや中東や東南アジア系の移民だらけ。純潔の日本人なんて、ほとんど残っていないし、縄文の遺伝子がどうとか言っているが、そもそもそんなに遡ったら、日本という国自体がない時代のただの無法地帯の移民の血統で間違いがないのだから、日本の遺伝子という意味でいうならば、皇室か、それらにまつわる遺跡などから採取したDNAを基準とするべきだろう。建国民の遺伝子として。あと、モンゴロイドだからモンゴルだとかいうゲス彦みたいな頭の悪い人がいるのだが、モンゴロイドというネーミングを外人が考えただけで、モンゴル人がモンゴロイドの始祖なわけでもなんでもないし、日本はハワイアンが住んでいて、モンゴロイドと混ざった可能性もあるし、白人が住んでいてあれこれ混ざってモンゴロイド化したかもしれないし、そもそもそんな昔は日本関係ないし、分類的にそう分類しているだけで、細分化したらモンゴロイドの中でもいろいろいるし、モンゴロイドではないモンゴロイドとかもいるはず。